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プリンストン (ニュージャージー州) : ミニ英和和英辞書
プリンストン (ニュージャージー州)[す, しゅう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ニュージャージー : [にゅーじゃーじー]
 【名詞】 1. New Jersey 2. (n) New Jersey
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ジャー : [じゃー]
 【名詞】 1. jar 2. (n) jar
ジャージ : [じゃーじ]
 (n) jersey, (n) jersey
: [す, しゅう]
 (n) sandbank

プリンストン (ニュージャージー州) : ウィキペディア日本語版
プリンストン (ニュージャージー州)[す, しゅう]


プリンストンPrinceton)は、アメリカ合衆国ニュージャージー州中央部、マーサー郡に位置する都市。アイビー・リーグの一角をなすプリンストン大学をはじめ、教育・研究機関を数多く抱える学術都市である。 またその教育・研究水準の高さ故、ダウ・ジョーンズなどの大企業も本社を置いている。一方でニューヨークフィラデルフィアという2つの大都市からほぼ等距離にあり、どちらからも州間高速道路や郊外列車(ニュージャージー・トランジットSEPTA)を利用しての通勤が可能であること、さらには州内のニューアークトレントンカムデン等と比べ治安が良いことから、郊外都市としての側面も持っている。また、ニューヨーク・フィラデルフィア両都市のメディアがプリンストンをカバーしている。
ニュージャージー州の州都はトレントンであるが、ニュージャージー州知事の官邸は北東に約20km離れたこのプリンストンに立地している。1945年、モーベン(Morven)と呼ばれる建物が正式にニュージャージー州知事官邸になった。その後モーベンの近くにドラムスワケット(Drumthwacket)という建物が官邸として建てられ、現在に至っている。モーベンは現在ではニュージャージー歴史協会(New Jersey Historical Society)の本部となっている。
プリンストンは1つの自治体ではなく、中心をなす面積約5km²のプリンストン市とその周囲を取り囲むプリンストン・タウンシップからなっている。もとは1つの自治体であったが、学校税をめぐって争いが起こり、1894年に両者が分離、現在に至っている。プリンストン大学のキャンパスの大部分はプリンストン市に属するが、一部はプリンストン・タウンシップにかかっている。プリンストン市は人口14,023人、プリンストン・タウンシップは人口16,027人である(ともに2000年国勢調査)。
==歴史==
1746年に創立されたカレッジ・オブ・ニュージャージー(College of New Jersey)がこのプリンストンに移ってきたのは創立から10年後、1756年のことである。このときに大学は現在のプリンストン大学という名に改められた。同時に、プリンストンは全米有数の学術都市としての道を歩みはじめた。

プリンストンはまた、独立戦争においても重要な地であった。1777年1月3日、ジョージ・ワシントン率いる植民地軍は味方の指揮官であったヒュー・マーサー将軍を戦死させてしまったもののチャールズ・コーンウォリス率いるイギリス軍を破り、 プリンストンの戦いと呼ばれるこの戦闘で勝利を収めた。当時のプリンストンの町から西へ約3km離れたこの戦場跡は現在の市の中心であり、プリンストン古戦場州立公園として保存されている。
1783年夏、大陸議会はプリンストン大学のナッソー・ホール(Nassau Hall)に集まった。その結果、プリンストンはたった4ヶ月の間ではあったが、アメリカ合衆国首都になった。大陸議会がパリ条約調印、独立戦争終戦を知ったのはこのプリンストンであった。当時、この周辺は農業地帯で、ナッソー・ホールと数軒の家屋が大学全体を構成して建っているのみであった。
19世紀に入るとニューヨークフィラデルフィアを結ぶ鉄道が引かれ、プリンストンにその駅ができた。しかし19世紀中盤に入るとルート短縮のために直線化がなされ、プリンストンの南数マイルのところを迂回するようになった。新線にはプリンストン・ジャンクションという駅ができ、そこから分岐する支線がプリンストンの中心部と本線とを結んだ。これらの鉄道は現在でもニューヨークとトレントンとの間で営業運転を行うニュージャージー・トランジットによって運営されている。
プリンストンはグロバー・クリーブランド、およびウッドロウ・ウィルソンの2名のアメリカ合衆国大統領ゆかりの街である。1894年、クリーブランドは大統領としての2期目にこのプリンストンで家を購入し、そのままプリンストンに住みついた。1908年に没すると、クリーブランドはプリンストン墓地に埋葬された。一方、プリンストン大学で教鞭をとり、学長も務めたウィルソンは、1912年にアメリカ合衆国大統領に選出された。ウィルソンは2期にわたって大統領を務め、第一次世界大戦後に十四か条の平和原則を執筆、国際連盟設立へとつなげた。
1915年にはプリンストン高校が開校した。当時、この近辺では白人と黒人を分けて教えることが普通で、実際に黒人用の小学校もあった。しかし同校は開校当時から全ての人種を受け入れた共学校であった。プリンストンの全ての学校で全人種共学になったのは、1947年にニュージャージー州憲法で公立学校および民兵における人種隔離が禁止されてからのことである。
1933年アルバート・アインシュタインプリンストン高等研究所に着任し、このプリンストンに住みはじめた。はじめはある種の珍奇さを感じたアインシュタインであったが、徐々にこのプリンストンに慣れ、それまでに住んだどの町よりも落ち着くようになったという。アインシュタインは1955年に没するまでこのプリンストンに住み続けた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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